依藤塚 嘉吉元年、赤松氏の家臣依藤惟次は白旗城(上郡町)からの帰り道に城山城の落城を知り、千本の地蔵堂に入って柱に辞世を書きつけて自刃したと伝えられています。そして後に子孫によってこの供養塔が建立されたということです。